少し前に東大の入学式で、努力の成果ではなく環境のおかげだという祝辞が話題になっていたが、本当にそうだろうか。その人は環境のおかげで東大に入れたのだろうか、それとも本人の能力の成果だろうか。

東大生が全く別の家庭、別の環境に生まれたときに、東大に合格することができれば、完全に本人の能力で東大に合格したと言っていいだろう。
同じ才能(遺伝的能力)をもったまま別の家庭に生まれたとする。そこでは勉強にとって良い環境、あまり良くない環境など、さまざまな環境があるだろう。そうした環境でも東大に合格できるだろうか。行動遺伝学や量的遺伝学を使えばその思考実験を行うことができる。

そこで行動遺伝学や量的遺伝学の標準モデルである相加的遺伝モデルを使って、東大生が赤ん坊からやり直したときに東大に合格できるのか計算してみた。

先に結果を書いておくと、合格確率は17%になる。環境は大事だね。

合格不合格の決め方

合格のボーダーを偏差値で決めて、それ以上の偏差値に達したら合格とする。実際にはちょうどボーダーだと合格確率は50%だし、実力的にボーダーに達していなくても合格する確率はそれなりにあるし、逆に実力的にボーダー以上だが落ちる確率も結構あるわけだが、計算が複雑になるのでボーダー以上の偏差値になったら合格とする。ここでいう偏差値は、18歳人口を母集団として、東大に必要な全科目の点を足したときの偏差値(予備校の定義とは異なる)。2019年の東大の定員は3060人で、この年の18歳人口は117万人。東大に合格するポテンシャルがあっても他の大学を受験する人を考えると、学力が学年の上位1万人に入れば東大に合格できるとする。つまり偏差値74で東大に合格できるとする*1

同じ家庭で赤ん坊から人生をやり直したとき

まず比較として、東大生が同じ家庭で人生を赤ん坊からやり直したときに、東大に合格できるのかを計算する。すでに合格できると証明されている訳だが、人生には色々なランダム要素がある。友人関係や教師など、人生で誰と出会ってどんな影響を受けるのかは、偶然の要素が大きい。蝶が羽ばたくと、地球の反対側で竜巻が起こるような複雑な世界では、同じ条件だと思っていても同じにはならない(バタフライ効果)。ありえた他の可能性を計算してみる。

計算の前提として学力の遺伝率(学力のバラツキのうち遺伝で説明できる割合)は60%、学力の共有環境の割合(学力のバラツキのうち同じ家庭で育ったことの環境効果で説明できる割合)は20%とする。具体的な割合は論文によって異なるのだが、だいたいこのくらいだ*2

同じ家庭で人生を赤ん坊からやり直すと、遺伝子と共有環境が同じになるので、一卵性の双子の計算をすることに等しくなる。双子といっても計算式が同じになるだけで、兄弟が増えたと考える必要はない。(なので生活費の余裕がなくなり塾に行けなくなることを心配する必要はない)

計算すると、赤ん坊から人生をやり直したときの偏差値の確率分布は

東大生が人生をやり直したときの偏差値の確率分布
となる。合格確率は偏差値74以上の割合に等しく、36%となる。この結果は東大生の平均で、ボーダーギリギリだった人の場合は21%になる。

上位1%の熾烈な競争をしているので、遺伝と環境の両方が恵まれないと合格できない。なので人生をやり直すと偶然が作用して、そこまで学力が伸びない可能性の方が高いのだ。というより、現在の学力が幸運により押し上げられた可能性が高いと言える。これは学力に限ったことではなく、偶然が関与する現象に普遍的に起きる"平均への回帰"だ。

別の家庭で赤ん坊から人生をやり直したとき

病院で赤ちゃんを取り違えられたような状況を考える。または神か悪魔が、イタズラで妊婦の受精卵を別の人のものと交換したとしてもいい。この状況で東大に合格できるだろうか。上と異なり別の家庭になったので、遺伝子のみが共通となる。育てられる家庭は日本の全家庭からランダムで選ばれるとして、別の家庭で人生をやり直したときの偏差値の確率分布は

東大生が別の家庭で人生をやり直したときの偏差値の確率分布
になる。合格確率は偏差値74以上の割合に等しく、17%となる。この結果は東大生の平均で、ボーダーギリギリだった人の場合は12%になる。同じ家庭で育ったときのシミュレーションより合格確率が下がっている。これは、もともと東大に合格するような学力があるという条件のもとでは、家庭環境が学力を上げるのに都合よい環境だった可能性が高いためだ。学力向上にとって良い家庭環境から別の家庭環境にランダムに置き換わると、学力は下がる可能性が高い。そのため同じ家庭で育った場合よりも合格確率が下がる。

偏差値50の人が人生をやり直したら…

平均的な学力の人が、別の家庭で赤ん坊から人生をやり直したら東大に入れるだろうか…。同じように計算すると

偏差値50の人が別の家庭で人生をやり直したときの偏差値の確率分布
こうなる。合格確率は0.1%。
能力的に優れているけどたまたま環境が悪い(あるいはたまたま音楽など別の趣味に打ち込んでいた)から偏差値50に甘んじていた…という可能性は僅かながらある。

これは遺伝と環境が組み合わさって結果的に偏差値50となった人の場合だが、才能(遺伝的な能力)が平均的だと分かっている場合はどうだろうか。遺伝的に平凡な人が、別の家庭で赤ん坊から人生をやり直した場合

遺伝的に平凡な人が人生をやり直したときの偏差値の確率分布
こうなる。合格確率は0.007%。

遺伝率が60%あるだけあって遺伝的な素養がないとダメなのだ。環境も大事だが、学力で一番重要なのは遺伝子である。

結論

遺伝も環境も自分で選ぶことはできないので、結局人生は運。


※注意しておくとこれはあくまで統計的な計算であって、とある個人が人生をやり直したときにどうなるかは分からない。ある人はどんな環境だろうと東大に入れるくらいの能力があるかもしれないし、また別の人は環境が変わると全くダメかもしれないし、逆に環境が変わるとずっと良くなるかもしれない。


(参考)計算式

記事中の4つの図は全て正規分布。分布の平均と分散は以下。
  • 同じ家庭で赤ん坊から人生をやり直したとき
分布の平均は71.85=(偏差値74以上の人の偏差値の平均-50)×(0.6+0.2)+50、分散は[1-(0.6+0.2)^2]×10^2
ボーダーギリギリの場合は(偏差値74以上の人の偏差値の平均)を74に置き換える。
  • 別の家庭で赤ん坊から人生をやり直したとき
分布の平均は66.39=(偏差値74以上の人の偏差値の平均-50)×0.6+50、分散は[1-(0.6)^2]×10^2
ボーダーギリギリの場合は(偏差値74以上の人の偏差値の平均)を74に置き換える。
  • 偏差値50の人が、別の家庭で赤ん坊から人生をやり直した場合
分布の平均は0、分散は[1-(0.6)^2]×10^2
  • 遺伝的に平均的な人が、別の家庭で赤ん坊から人生をやり直した場合
分布の平均は0、分散は(1-0.6)×10^2

※本文中にあるように0.6は遺伝率、0.2は共有環境の割合である。

*1:上位1万人ではなく上位5000人とすると、偏差値76以上になる。なお東大合格者の現役:浪人の比率は概ね2:1だが、それを考慮しても学年上位1%弱程度で問題ないだろう。

*2:遺伝と共有環境の割合は、例えばこの論文では16歳時点でそれぞれ62%と26%。この論文では10歳で58%と26%、安藤寿康氏のデータでは9歳時点でそれぞれ60-70%と10%程度になる。共有環境の割合は大人になるとほぼゼロになるのだが、18歳時点ではまだ無視できないくらいある。