野口英世について調べていたら、野口が梅毒に冒されていたという記述があった。その件についてさらに調べてみると、確かに野口は1914年にロックフェラー研究所で医師の診察を受け、梅毒に感染していると診断されている。野口の伝記で最も詳しいと思われるイザベル・R・プレセット『野口英世』(1987年)に以下の記載がある。
1913年に(中略)野口自身もその時はじめて自分に心臓の肥大があることを知った。検査を進めると、この肥大は大動脈弁閉鎖不全によるもので、これはまた治療が完全でなかった古い梅毒によって生じたものであることがわかった。1914年に野口ははじめて研究所の心臓専門医に診せているが、その時ヴァッサーマン反応が陽性であった。
いつ野口が梅毒にかかったか、第一期梅毒にたいしてどんな治療を受けたかは全然手がかりもない。自分のヴァッサーマン反応が強陽性であることを、心臓肥大がわかる以前から知っていなかったとはとうてい思えない。実験のついでに自分の血液を試験してみたことが何度かあったにちがいない
ワッセルマン反応(ヴァッサーマン反応)とは梅毒の感染を検出する血清反応法で、これが陽性ということは梅毒に感染していることを意味する。プレセットはロックフェラー大学病院に残された野口の病歴(カルテ)を参照してこの事実をつかんでいる。

梅毒は感染から数年以上経つと症状が進行し、心臓や血管、中枢神経系に異常が現れることがある。心臓が悪いことは野口自身が公言していた。奥村鶴吉「野口英世」(1933年)には、1915年に野口が日本に帰国したときに、「2年前に生命保険のための身体検査で心臓が悪いことが分かり、保険に加入できなかった」という趣旨のことを野口が話しているエピソードがある。しかし野口は心臓が悪い原因については秘匿していた。

野口はこの後、定期的に病院で診療を受けることになるが、ワッセルマン反応がふたたび陽性になることはなかった。その原因については不明だが、プレセットは梅毒のサンバルサン治療が上手くいったのか、それとも1917年に腸チフスにかかり高熱が続いたせいで梅毒トレポネーマが死滅したのか、何とも言えないとしている。

サンバルサンとは1908年に開発されたばかりの梅毒の薬で、副作用はあるがそれまでの治療法よりは遥かに良く、抗生物質が開発される1940年代まで使われていた。また梅毒トレポネーマは高熱に弱く、感染症にかかって高熱が出ると梅毒が治ることがある。当時は梅毒患者を意図的にマラリアに感染させ、高熱により梅毒トレポネーマを死滅させた後に、抗マラリア薬を使うという治療法が存在した。

遺体の解剖所見

野口の死後、遺体はすぐに解剖されたが、そのときの解剖所見は今もガーナに残されている。
東京医科歯科大学 ガーナ大学・野口記念医学研究所共同研究センターのニュースレターによると、解剖所見には以下のようなことが記されている。
身体は死後硬直の状態にあり、全身に黄疸症状が現れていたこと、また心採血を行ったことも書かれています。詳細は省きますが、肝臓やかなり膨潤した腎臓皮質に柔組織の変性が顕著であったこと、それに反して脾臓は通常よりも小さかったことなどが明記されており、その他に心臓がやや肥大化していること、特に左心室からの冠状動脈弁が硬化していて不全であるとの記載が目に留まります。
この解剖所見の中では黄熱病という言葉は一度も使われていませんが、ヤング博士は立会人一同の前で黄熱病の診断を肯定しています。また病理を専門とする方々の見立てに拠れば、ここに記載された所見は典型的な黄熱病に見られるもので、また特に心臓の変化については梅毒性心疾患に特有の変化とのことだそうです。

プレセットの本には、この解剖のときに野口の心臓と大動脈を保存してニューヨークに送るよう、ロックフェラー財団から現地に電報が送られたとある。野口の体は梅毒性心疾患の症例として注目されていたのだろう。

いつ梅毒に感染したか

梅毒により心臓肥大が起きていたとすると、梅毒感染から数年以上経っていたということになる。ということは梅毒に感染したのはアメリカ時代の初期か、日本での放蕩時代ということになる。病理史学者の立川昭二は『病いの人間史』(1989年)のなかで以下のような指摘をしている。
野口の青春時代にあたる明治中頃の日本は梅毒の全盛時代で、青年英世が梅毒に罹患したのはそれほど特別な話ではなかった。
 たとえば、その明治中期の話であるが、
「ある郡で徴兵検査のときに被験者の三分の二が梅毒で不合格になった」といわれ、またこの頃のある開業医は、「患者の半数は梅毒で、全村梅毒を存せざる家はなく、多きは一家三、四名の患者あり」と報告している。
野口の放蕩癖は非常に有名なので、夜遊びで梅毒に感染したとしても全く不思議ではない。
また野口は1905年に初めて梅毒の研究を行っている。試料を扱うときの不注意から感染した可能性がない訳でもない。

野口が梅毒に感染していたとすると、野口を通じて妻のメリーに感染しなかったか気になるところだ。メリー夫人は第二次大戦後の1947年まで生きており、梅毒に感染したという情報はない。ただ梅毒は自然治癒することがかなり多く、感染していたとしても症状が出ないことは不思議ではない。
陳旧性梅毒(既に治癒しているが血清反応のみ陽性)を無症候梅毒という。大半の患者は無症候梅毒で終始し自然治癒していると考えられている。また、 顕症梅毒においても自然治癒があると考えられるが、 正確な統計はない。

死因は梅毒?

プレセットの本を翻訳した医学者の中井久夫らは、あとがきにこう書く。
黄熱病が峠を越したところでけいれんが起こり、それを契機に意識障害が生じて再び回復しなかったということである。けいれんの原因は特定できないが(黄熱病の腎障害による尿毒素だろうか、梅毒によって脆弱化していた脳の血管に破綻が起こったのだろうか)、中枢神経系の器質的障害が直接の死因だったのはまずまちがいない。
というように、黄熱病が引き金となって、梅毒による血管障害で亡くなった可能性が示唆されている。

プレセットは、解剖により「梅毒の陳旧感染※とその意味する精神水準低下の証拠とは白日の下に曝された」と書いており、梅毒によって野口の精神が冒されていたことを示唆している。西アフリカ時代の野口は特に夜中に実験して他の所員と顔を合せなかったり、動物実験の管理がめちゃくちゃだったりと問題があったようだ。精神水準低下により不注意な行動が増え、黄熱病に感染した可能性もある。

※感染から長く時間が経過していること

ほか

野口が梅毒に感染していたことについて、あまり伝記で扱われることはないが、調べたなかでは記事中のプレセットと立川の本の他に、病理学者の仲野徹の著書『なかのとおるの生命科学者の伝記を読む』(2011年)、『(あまり)病気をしない暮らし』(2018年)で扱われている。

なおワッセルマン反応には偽陽性が起きることがあるので、特に梅毒や医学に詳しい訳でもない私は、プレセットの記述だけでは野口が本当に梅毒に感染していたのか確信をもてない。ワッセルマン反応以外に梅毒感染のテストをしたかは不明である。(当時から梅毒を検出する方法は多数研究されていた。野口自身が酪酸法とルエチン法という梅毒の検出法を開発しているが、一般には使われなかった)。あとは死後の解剖でどこまで調べたかだが、こちらも詳しい情報はない。