英語で野口英世について調べていると、よく出てくるのが梅毒に関する人体実験スキャンダル。日本では何故かほとんど知られていないが、結構重要な事件なので紹介する。簡潔にまとまっているデイヴィッド・ロスマン『医療倫理の夜明け』(2000年)から引用する*1
ロックフェラー医学研究所の準メンバーだった野口は、梅毒から抽出された「ルーエチン」と名付けた物質が梅毒の診断に有用かどうか研究した。ピルケーが1907年に少量のツベルクリンを皮内に注射して結核症を診断したように、野口は少量のルーエチンを注射して梅毒の感染を立証できないかと考えた。動物実験でルーエチンが病気をうつさないことが分かり、満足した野口は人体実験に移った。15人のニューヨークの医師の協力をえて、野口は400人の被験者にテストした。多くは精神病院の入院患者、施設の孤児、公立病院の患者だった。254人が梅毒で、残りの「種々の対照群」には、結核や肺炎に冒された100人の成人と子供、および46人の正常な子供たちもふくまれていた。ルーエチンをヒトに接種するするまえに、野口と医師たちは、その物質を自分たちに試したが副作用はなかった。しかし、野口をふくめてだれも、この試験について被験者に説明したり、承諾をえたりしなかった。
この実験についての野口の論文は1911年に掲載されている*2。翌年の継続論文では被験者の数が増えて、315人の梅毒患者と250人の「対照群」になっている*3
野口は以下のように弁明していた。第一に自分で試して、テストは安全だった。第二に、被験者のなかに隠れた梅毒患者が見つかるかもしれないので、みかけは治療を目的としていた。しかし、この論法は明らかに弱く、少なくともある方面の人々の激しい抗議に太刀打ちできるものではなかった。とくに生体解剖反対派は、研究で、動物の福利を無視する態度は人の福利の無視を生む、という彼らの危惧を確信した。「生体解剖の赴くところ」と題したパンフレットには、「病院や孤児院の無力な人たちは、年齢や承諾にかかわりなく、単に科学実験の材料にされるのだろうか」と書かれていた。もしも研究がそれほど安全だったなら「ロックフェラー研究所は20ドル、30ドルの謝礼を払って、何人であれ自発的に研究に参加する希望者を確保できたのではなかったか」と運動のリーダーは疑問を向けた。すぐに新聞社がこれに加わった。ニューヨーク・タイムズは「この不法行為は罰せられるべきである」という大見出しの記事を掲げ、児童虐待防止協会の会長は野口を刑事事件で告発することを望んだ。
スーザン・レデラーの論文に詳しいが*4、1912年5月にニューヨーク児童虐待防止協会の会長であるジョン・リンゼイは、野口を暴行容疑で刑事告発している。リンゼイとニューヨーク当局の検事、ロックフェラー研究所の代理人の3者会談で、梅毒に罹っていない人間を同意なしに(孤児の場合は保護者の同意なしに)ルエチン検査にさらすことは違法だとリンゼイは訴えた。しかし当時は同意のない人体実験を禁止する法律がなく、被験者が健康被害を被ったという証拠がないため、マンハッタン地方検事局は野口を不起訴としている。

同意なしの人体実験は現代でははっきりと違法だけれども、アメリカが包括的な法規制をするのは野口の時代よりずっと後になってからである。第二次大戦以降に人体実験が組織的かつ大規模化したのを経て、1960-70年代にアメリカの非倫理的な人体実験が次々と暴露されてスキャンダルとなり、強い規制がなされた。

この野口のスキャンダルのときにも法規制を進めようとする人はいた。
ニューハンプシャー州上院議員のジェイコブ・ガリンガーは生体解剖反対派に同調的で、ニューヨーク病院の診療を調査し、そのような実験をした研究者を罰する立法措置を講ずるよう委員会の招集を求めた。
ただ、少数の例外的事件ということで、立法までには至らなかった。

刑事事件にはならなかったが、アメリカ各地の新聞がこの事件をセンセーショナルに報道した。そして、秘密裏の人体実験で子供たちが性病に感染させられていると騒ぎになった。野口やその周囲の人々は、活動家の抗議に晒されることになった。

何人かの親は、ニューヨークの病院が子供たちを性病に感染させたとして、病院に対して損害賠償を求める民事訴訟を起こした。(イエロー・ジャーナリズムとして煽情的な記事で知られる)ハースト系列のニューヨーク・アメリカン紙は、ルエチン実験の記事を第1面に掲載し、野口の研究に触発された人体実験の犠牲者とされる写真やインタビューを載せた。はしかや猩紅熱などの伝染病で入院した幼児が、ブロンクスの病院の人体実験で梅毒に感染させられたという記事が出て、当局も調査に乗り出した(この病院は子供に対して血清やワクチン接種をしておらず、デマ記事だと分かった)。

ロックフェラー研究所での野口の上司であるフレクスナーは、野口を報道機関や州議会で何度か弁護している。

結局、ルエチンは実用になるほど効果の高いものではなく、活動家たちもデマや誹謗中傷を流すなどのやりすぎ行為で支持を失った。そして第一次大戦が起きて関心がそちらに向かった。

以上の記述は、ロスマン本の引用以外は、スーザン・レデラーの論文を出典にしている。


スーザン・レデラーの本*5で紹介されているニューヨーク・アメリカン紙の記事(1914年2月16日の紙面)
ニューヨーク・アメリカン紙
見出しは「生体実験で犠牲になったブロンクスの6人の家族」
病院で治療を求めている間に子供たちが意図的に病気に感染させられたと報じている。
(この日付の記事以外にも人体実験問題について煽情的な記事を繰り返している)


ちなみに、あまり知られていないが野口英世自身が梅毒に感染しており、1914年(あるいは1913年)に梅毒性心疾患と診断されている。ただ症状の進み具合からしてルエチンを扱う以前から感染しており、ルエチンを接種したことで感染した訳ではないようだ。

参考記事


*1:p46-47。明らかな誤植は訂正した。

*2:Noguchi, Hideyo. "A cutaneous reaction in syphilis." Journal of Experimental Medicine 14.6 (1911): 557-568.

*3:Noguchi, Hideyo. "Experimental Research in Syphilis: With Especial Reference to Spirochaeta Pallida (Treponema Pallidum)." Journal of the American Medical Association 58.16 (1912): 1163-1172.

*4:Lederer, Susan Eyrich. "Hideyo Noguchi's luetin experiment and the antivivisectionists." Isis 76.1 (1985): 31-48.

*5:Lederer, Susan "Subjected to science: human experimentation in America before the Second World War." (1997)