『IQは金で買えるのか』(朝日新聞出版)で紹介されていたが、ミシガン州立大学のスティーブン・シュー教授によると、知能に関わる理想的な遺伝子変異の組み合わせが実現すれば、IQは1000以上になるという。

シュー教授が書いた該当記事はこれ(より詳しくはこの論文にある)。確認したところ遺伝学の教科書にもある標準的な理論で、確かにIQは計算上1000以上になる。
この計算はもともと家畜や実験動物に対して選抜交配実験を繰り返して、量的形質を変化させたとき、その理論限界を求めるために使われていたもの。

人間も動物なので当然これが適用できる。この計算は集団のなかにある有利な遺伝子ばかりを選びだしたときに、どれだけ形質が変化するかを求めたものなので、遺伝子工学を使ったデザイナーベビーに対しても同じく適用できる。具体的な式は
デザイナーベビーの最大能力の公式最大値 = A × √n × (集団の標準偏差)+(集団の平均)
ここでnはその形質に影響を与える遺伝子の数。Aは形質ごとに異なる定数で、1に近い値になる。例えば0.8とか1.2のような値。Aは全ての遺伝子を特定して効果量と頻度を求めないと厳密には求められないので、ここでは概算で1とする(具体的なAについてはページの最後に記す)。

IQに関連する遺伝子の数は数千~一万程度と推定されている。ここではその数を5000とすると、IQは平均100、標準偏差15なので、デザイナーベビーのIQの最大値は1161と計算できる(√5000×15+100より)。

ついでに身長の最大値も求めてみる。身長の遺伝子は1万ほどあると推定されている(つい最近、実際に遺伝子が同定された)。日本人の平均身長と標準偏差を使うと、デザイナーベビーの最大身長は、男が750cm、女が690cmになる*1。キリンの体高は最大で6メートルなので、それよりも大きい。

IQの定義からするとIQ1000とは10785人に1人の知能の持ち主ということになる。10785という数はこれまで存在した人間の数よりはるかに多い(さらにいうと宇宙に存在する原子の数よりも多い)。

非常に高いIQを測定できるか

実際に高いIQを測定するのは難しく、現在の標準的なIQテスト(ウェクスラー式知能検査)では160までしか測定できない。
というのもIQテストを作成するときに点数が正規分布になるように得点調整をしており、高いIQまで測れるようにするには非常に多くの人間をテストする必要があるため。そのためこれまでと同じやり方では高いIQを測定することはできない。

知能の限界

仮に非常に高い知能まで測定できる理想的なテストがあるとしても、知能の生物学的な上限はIQ1000よりずっと下にあるかもしれない。

上で最大IQを計算した式は、各遺伝子の効果が足し算できると仮定している(相加性の仮定)。例えば平均よりIQを1上げる遺伝子と、0.5上げる遺伝子を持っていれば、合わせてIQが1.5上がることになる。この仮定は通常の状況ではほぼ成立していると考えられているが、極端な場合でも成立するとは限らない。
例えばIQが200程度と非常に大きくなってくると、もしかしたら相加性が成立しなくなる可能性がある。つまりIQを上げる遺伝子が増えても、知能が上がらなくなるかもしれない。

例えばパターン認識などの処理速度を測るようなテストでは、脳内で電気信号が伝わる速度は基本的に変わらないことだし、どこかに生物学的な処理能力の上限があることは十分考えられる。また特定の処理に使う脳の領域が増えると、他の処理に使う領域が圧迫されるといった悪影響がでるかもしれない。

身長

身長の最大値はキリンよりも高い6メートル以上にできるという結果になったが、この身長では脳に血液を送りこむことが難しくなり、貧血に悩まされるだろう。立ち上がることすらできない可能性もある。キリンは高い所にある脳に血液を送り出すために、高い血圧に耐えうる心臓、血管を進化させてきたが、それなしに身長だけ伸ばしても悲惨な結果になるだろう。また胎児の段階で大きくなりすぎると母体の中で成長できないため、いきなり理論上の最大値まで大きくするのは無理かもしれず、大きなデザイナーベビーを作るには数世代かかるかもしれない。(身長を極端に大きくすることは誰も望んでおらず、マッドサイエンティストでもやらないだろう)

身長を限界まで伸ばしたデザイナーベビー

技術的なこと

・デザイナーベビー実現にはゲノム編集を使うことになるが、知能や身長では数千の遺伝子をまとめて操作するので技術的にかなり難しい(可能になるのは20年後くらい?)。
・現状で身長の遺伝子はほぼ特定されているが、知能の遺伝子はまだ一部しか特定されていない。ただ同じようなやり方をすれば知能でも遺伝子を特定できるだろう。

・倫理的・法律的には、将来においてもこのような大規模な遺伝子操作は許されないだろう(一部の国で隠れて実行されるとは思う)

(参考)Aの値

上の計算式で使った定数Aの値について。

(1) 全ての遺伝子の効果が等しく、初期頻度が全て0.5のとき
教科書にも書いてある単純な条件だが*2、このとき
式1a
になる
h2は遺伝率。遺伝率が80%のときはA=1.26、遺伝率が60%のときはA=1.1となる。

このAの値は、各遺伝子の効果量が等しくない場合はより小さい方に変化し、各遺伝子の初期頻度が0.5でないときはより大きい方に変化する。

(2) 遺伝子の効果量・初期頻度に分布がある場合
遺伝子の効果量a、初期頻度qが分布をもつ。ここでaとqが独立で、aがガンマ分布に従うとすると*3
式2a
Eは期待値、kはガンマ分布の形状パラメーター(Wikipedia:ガンマ分布の記号を用いた)。

例えばqが一様分布、aが指数分布(k=1)、遺伝率60%のとき、A=0.95になる。
全ての遺伝子の効果が等しく、初期頻度が全て0.5のとき(k→∞、q=0.5)、Aは(1)と等しくなる。

関連記事



*1:n=10000、平均身長は男が171cm、女が159cm、標準偏差は男が5.8cm、女が5.3cmで計算

*2:ファルコナー「量的遺伝学入門」1993年 p277 (ファルコナーでは上下方向の応答量の差を出している)

*3:Hill, William G., and Jonathan Rasbash. "Models of long term artificial selection in finite population." Genetics Research 48.1 (1986): 41-50.  (A*→∞(α*→0)の場合)