一つ前の記事で、栗城の登山家としての問題点について書いたが、この記事では主にその他のことについて記す。初の評伝である河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社、2020/11/26発売)を読んだことをきっかけ書いたものだが、本の感想というより、これまでの私の栗城ウォッチをまとめたもの。


中途半端さ(単独、無酸素、登頂、生中継、映画、共有、エンタメ的なパフォーマンス)

栗城が選んだのは中途半端な道だった。
あれこれやると宣言して、実際にやったのはエベレストに「行く」ことだけだった。何がやりたいのか正確なところは誰にも分からなかった(あるいは本人にも分かっていなかった)。

生中継は本気でやろうとしているように見えず当然のように失敗が続き、カラオケや人生相談のようなエンタメ活動もなくなり、作ると宣言した映画は完成せず、中途半端に単独であろうとして、単独とは評価されないうえに、惜しいと言える高度にも達せず、共有を謳うが、秘密主義の隠密行動が増えていった。

・登頂
栗城の実力では、秋のエベレストは、単独無酸素を捨てたうえにノーマルルートでも実際のところかなり難しい(実力者でも条件が悪い年ならば登頂は困難になる)。特に指を失った後は…。無酸素ならばどのような条件でも登頂不可能。登山家としての全キャリアを通じて、登山家が酸素ボンベを必要とする8400mの高度に一度も達せておらず、エベレスト無酸素登頂ができるほどの高度順応能力がない(しかも加齢による衰えがある)。難ルートからの登頂は論外といえる。しかしキャリア後半になるにつれ難ルートを選択するようになる。

・単独無酸素
単独無酸素が嘘といっても中途半端に単独や無酸素であろうとした。もっと堂々とシェルパを使って酸素を常時吸っていればさすがにもっと登れただろうが、中途半端に単独や無酸素であろうとして、結局その評価を得られず、上の方まで登れもしなかった。

ただこの中途半端さのせいで長く活動できたともいえる。小保方や佐村河内がテレビで大きく取り上げられるようになってからすぐに破綻したのに対し、栗城は10年ほど活動を続けた。それは登山業界が栗城をほぼ黙殺して批判が遅れたためでもあるし、栗城が佐村河内ほど突き抜けたことをしなかったせいもある。さすがにあの登り方でエベレスト単独無酸素登頂成功と宣伝していたら大問題になっただろう。

・生中継
栗城に対して「登る気がない」とはよく言われるが、晩年は本気で生中継する気があるとはとても思えなかった。そもそも生中継をするシステムを構築できていなかった。かなり敏感な調整が必要な独自システムを使っていたうえに、ほとんどぶっつけ本番なので、ベースキャンプより上での生中継は端から成功の見込みがなかった(中継実績は基本的にキャンプ地のみで、2012年以降の映像中継は全て失敗している)。8700mまで登らないと中継はできないと後から言い出すこともあった。
単独無酸素の建前を捨てて酸素をあからさまに吸いまくって堂々とシェルパと登っても生中継はできなかっただろう。2013年にイギリスのダニエル・ヒューズがエベレスト山頂からスマホで生中継しており(スマホ以外の通信機器も使っている)、別に無理なことではないが、栗城は金を集めることに特化していて、どうやったら効率良く生中継できるかという思考が見られなかった。集金力が衰えてからはそれが顕著に出ていた。

・共有
動画やブログの情報発信量は年々減っていた。GPSの位置をリアルタイムで共有するということも始めたが、発信が途切れ途切れで、どこにいったか分からなくなることがよくあった(他の登山家はこういうことにならない)。おそらく演出上の都合とか、シェルパに関する都合があるのだろう。GPSは、少なくとも2015年の5回目のエベレストでは共有の道具ではなくイカサマの道具であり、シェルパにGPSを持たせて替え玉登山をやっていた。「失敗の共有」なんてことまで言っていたが、失敗が共有されているとも言い難い(生中継なんかはただ失敗しているだけ。登山については情報を出さなくなっていった)。

・エンタメ的なパフォーマンス
凍傷以後は、流しそうめん、カラオケ、人生相談、裸になる、バスローブ、みたいなおふざけをやらなくなった。さすがに指を失ってからは、お笑いに走ることができなくなったのだろう。「そんなことをしてるから凍傷になるんだよ」とも言われていたし。吉本の芸人志望だったことからしても、本来はこういった路線がやりたかったのだろうが…。明らかに無理な深夜の山頂アタックだけは凍傷後も継続していた(通称アリバイアタック)。
エンタメ路線にするなら川口探検隊のように分かりやすくするか、他人(シェルパ)に危険が及ばないようにする必要があった。

一度言ったことを撤回できない性格で、それは自己啓発やスピリチュアルに嵌っていたせいもあるが、本人の特異な性格による。例外的にスキー滑降は問題なく止められた。スキーは2007年チョ・オユー、2008年マナスルでやっており、その後は継続しなかった。2010年くらいまで公式サイトでもスキーをかなりアピールしていて、2011年のシシャパンマまではスキーをやると言っていたが、結局やらなかった。
生中継の機材を持って登るので、スキーもやるのは無理と自分の頭の中で整理ができ、他人に説明もできたせいだろう。

登山は自己申告が原則であり高い倫理性が求められる分野で、いわば紳士のスポーツ。別にルールは無いのでどんな登り方をしても構わない…嘘をつかなれば。登山はやろうと思えばいくらでも虚偽申告ができるので、事実よりも過剰な演出を指向する栗城にはある意味で合っていたが、そうすれば叩かれて墜落するのも必然だった。

栗城史多は何をやりたかったのか

人前では自然を感じたいから酸素ボンベを使わないと言いつつ、酸素ボンベを使っていた。
単独と言いながら大勢のシェルパを使役した。
登る事より執着しない事が大事と言いながらエベレストに執着し、単独無酸素のストーリーに執着した。
必ず生きて帰ると言いながら、早期の死を望ぶと自身が信奉する人物に話していた(これは河野氏の本に書いてある)。

インチキの単独無酸素で登山関係者をイラつかせ、結局ファンも裏切られ嫌な思いをすることになった。

結果からすると、色んなものを得ようとして何も得られなかったように見える。
ただ注目されること、支持者から凄い人と思われることには成功していた。

河野氏の本でのX師の証言からしても、晩年は、単独無酸素で難ルートに挑むというストーリーで、「常識にとられない挑戦者」のイメージを支持者やターゲットとなる自己啓発好きの人にアピールし、そこで死んでも格好がつくなと思っていたのだろう。本当に死ぬ気で上の方まで登り続けて遭難したら、それはそれで凄いとは思う。ただいつもすぐに下りてきてしまうのだが。

佐村河内と違うのは、ヒマラヤを劇場に見立てて演技をするにしても、それなりに危険ということであり、それが栗城の言うことに説得力をもたせた。
河野氏の本にもあるように栗城が「命を懸けて登っている」という鎧をまとうことで、批判する方はまっとうな指摘をするにしても、いくらかの「引け目」を感じてしまう。

ネットで批判されるようになったといっても、自己啓発、スピリチュアル、一部の起業家などの層から多大な支持を得ており、facebookでは大量のいいねを集めていた。
おそらく注目される、講演する、お金を集める、というのがアイデンティティになっており、今までと同じことを続ければ、人気が徐々に減衰していくにしても講演に呼ばれ、SNSでもそれなりに注目されるので、活動を止められない。

私の経験でいうと、辛いときは新しいことをやるのが大変で、これまでの延長で自分の得意なことを繰り返せば、色々と考えなくてよく、作業をしていれば楽になる。栗城にとってそれがエベレストに行くことであり、講演会で話すことであり、スポンサーを探すことだったのかもしれない。

しかし基本的に特異な精神状態の人を理解できるものではない。ただ分類できるときはある。慢性的に嘘をつき続けて、キャリア後半は本人も苦痛を感じており、最後は破滅したとなると、自己愛性か演技性パーソナリティ障害と診断されてもおかしくないかもしれない。この辺は全然詳しくないが。

なぜ人気があったのか

これまで書いてきたように私は栗城の良さというものは全く分からなかったが、栗城にセルフプロデュース能力があるのは分かったし、特定層に人気があるのも見れば分かった。しかし後世から見ると栗城が何をやった人なのか、何で人気があったのか、なぜ大企業や一部の起業家たちから支持されたのか、まるで分からないのではないだろうか。一種のアイドルみたいなもので、雰囲気で応援され、大勢のファンがいるところを見れば、こういうのが好きな人もいるよねと分かるが、それは人口の一部でしかなく、アイドル文化が廃れれば全く理解不能になる。

会った人を直接的に魅了したり嘘で誤魔化したり、動画も交えて講演の場で雰囲気を作るのに特化していて、文章で書かれても何が凄いのかよく分からないし、冷静な検証にも耐えられない。

栗城は講演家としてそれなりに人気があったが、それ以外のコンテンツに人気があったとは言い難い。対談形式の有料のメルマガやニコ生をやっていたが、どれも失敗して終了した。ニコ生は視聴者が1桁のときもあり全然人気がなかったのが見て分かった(再入室するとダブルカウントするので、最大値でそれ)。おそらく支持者にとって、自己啓発イベントで講演会場を共有することで結束を高めるという需要があったが、栗城の発言内容自体にはそれほど興味がなかった。

凍傷になってからは、FBでポジティブなことを言っていればそういう層から大量のいいねをもらうようになり、自己啓発やスピリチュアル方面から多大な支持を受けているのは分かった(実際の集金力は凍傷前の方が上だったが)。

ファンにとっても自分はなぜ栗城のファンだったのか説明ができないのではないだろうか。「頑張っているところを応援したかった」とか「ポジティブなのが良かった」とかくらいで。
登山ライターの森山氏が書いているように、嘘を信じていたことが分かったファンは、後味が悪い思いをする。そして栗城の良さを語り継ぐ人はいなくなる。

佐村河内はまだ全聾のストーリーに感動したのではなく音楽自体に感動したのだという言い分が成り立たない訳ではないが、栗城の場合は成り立たない。単独も無酸素も登頂チャレンジも嘘が混じっているため。

反面教師と別の人生

批判を無視したり自分に都合のいいことばかり発信するのは、自己啓発やスピリチュアルの負の側面を示しているが、現代人の多くがはまる落とし穴を示す反面教師というほどではない。普通の人はあれだけ批判されれば自分は何かおかしいのではないかと自問し、自制するから。批判されたら都合の悪いこと(シェルパ)を隠して、トレーニングもろくにせずにバリエーションルートを選んだりするという、明後日の方向に突き進んだのは特異な人格によるもの。批判されたら詐欺師になるというのは普通はない。

そのエネルギーをビジネスなど他の事に使っていたら…とも言われるが基本的に自分を売り込むことしか興味がないので、おそらく普通のビジネスとか営業は無理だろう。生前ずっと親しい関係にあったネットワークビジネスのディストリビューターならありえるかもしれない。あれは商品/商材を売っているというよりを自分を売っているようなものに近い。

栗城の人気の源泉は、若さ、無鉄砲さ、「命を懸けている」「リスクを取っている」という無言の説得力だったので、それを止めればオーラがなくなり、Youtuberも厳しかったと思う。そもそも生前に有料のニコ生をやっていたが全く人気がなかった。
だから生前の路線がある意味では天職だったかもしれない。
最初のマッキンリーで失敗していたり、その頃に支援する人が現れなければ、別の人生もあったかもしれないが…。

ニコ生
ニコ生の一部放送を抽出。再生数が1桁の動画もある。

南西壁の入山許可を取っていなかった?

最後に小ネタを。
栗城が『神々の山嶺』に影響を受けていた可能性を『デス・ゾーン』で指摘されていたので思いだしたが、栗城は南西壁の入山許可を取っていたのだろうか。

というのも海外サイトやネパール現地紙では、栗城の死去時に南西壁を登っていたとは報じられていないから。現地紙ヒマラヤン・タイムスでは南西壁ではなく西稜を登っていたと報じられている。これはただの誤報かもしれないが、実際に南西壁の入山許可を取らず違法に登っていた可能性がある。

エベレストの入山許可は2年間有効で、栗城はその前年に西稜の許可を取っている。そのため最後の年も西稜の許可証で途中まで登れる。この年は順応時にノーマルルート方面にも登っているが、それはルートを共有しているローツェの許可を取れば登れる(入山料が1800ドルと安い)。
栗城が南西壁を登ることを公表したのは死の3日前の5月18日で、しかもファンクラブ会員向けの動画であり、公には最後まで秘密にしていた(といってもそのYoutube動画にアクセス規制がされておらず誰でも見れたので、ウォッチャーの間では5月18日に知られていた)。公開されたGPSログの座標は南西壁で間違いない。

もし南西壁の入山許可を取らずに登っていたとすると、考えられる理由は、(1) ルートを南西壁にすることを最後まで秘密にするため、あるいは (2) 無許可で単独で南西壁に挑んだ『神々の山嶺』の主人公に自分をなぞらえるため、あるいは (3) 単に入山料の1万ドルをケチるため、あたりだろうか。

魚住カメラマンの証言では、栗城はこのエベレストで登れても登れなくても最後と語っており、入国禁止などのペナルティを受けるリスクを承知で登った可能性がある。
ただ栗城が登った場所(C3 約7300m)までなら西稜に向かうルートの右の方を登ったと言い訳することも可能だろう。『デス・ゾーン』によると栗城隊シェルパもC3まで登っている。

※ちなみに同じく「最後のエベレスト」と宣言していた4回目のエベレストでは凍傷になって指を9本失っている。

関連記事・参考サイト

詐欺師としての栗城史多 登山家としての問題点 - 登山の問題点について書いた1つ前の記事。

栗城史多まとめ @ ウィキ - 登山についてはこのサイトがまとまっている