・優生思想という言葉を「弱者排除」「人の価値の選別」のような意味で使うのは、日本だけのガラパゴス用法。こういう意味での用法は1970年代以降に障害者団体(とそれに影響された一部のアカデミズム)で使われていた程度だったが、2016年の相模原障害者殺害事件の後に爆発的に使われるようになった。

自分の主張を通すために、ナチスを想起させて相手に悪のレッテル貼りをするために使われているのであって、こういう使い方は止めた方がいい…という記事です。

『優生学と人間社会』(講談社現代新書)の著作がある東大の市野川容孝教授は、こう説明する。
「優生思想」という言葉と「優生学」という言葉は、よく似ていますが、少し区別する必要があります。「優生学」という日本語は「eugenics」という英語の訳語で、その内実もeugenicsに等しいですが、「優生思想」という日本語は、1970年代以降、eugenics(優生学)に限定されず、広く障害者差別一般を意味するものとして用いられるようになりました。

「優生思想」という日本語を、朝日新聞、読売新聞の記事データベースで検索すると、その初出は国民優生法が制定される1940年前後に求められ、この時点では「優生思想」と「優生学」は、同じ意味で用いられている。(中略)

「優生思想」と「優生学」がイコールである状況は、敗戦後の1948年に新たに優生保護法が制定されて以降も、しばらく続きます。(中略)

 しかし、1970年代になると、「優生思想」という日本語に変化が生じたと私は考えています。その変化は2つあって、1つは、それまで優生学と同義で、誰も疑問に思わなかった「優生思想」が、はっきり批判されるべきものとして認識されるようになったこと。もう1つは、「優生思想」が、優生学、つまり「不良な子孫」の「出生防止」(優生保護法、第1条)に限定されず、障害者差別全般を意味するようになったことです。
 1972年に優生保護法の改定案が国会に提出されとき、脳性まひ者の団体である「青い芝の会」は、その改定案に導入された「胎児条項」、すなわち胎児の障害を中絶の理由として認める規定を真正面から批判しましたが、その2年前の1970年に、青い芝の会は、横浜でおきた、重い障害をもつ我が子の行く末を悲観した母親によるその子どもの殺害の事件についても、厳しい批判を向けました。青い芝の会が展開したそのような抗議活動や批判を通じて、「優生思想」という言葉は、障害者が生まれないようにすること(=優生学)だけでなく、障害者を殺すこと、さらには障害者を社会の至る所から排除すること、そういうことすべてをまとめて表現するようになった。これは比較的、最近のことであり、また「優生」という言葉の、他の国々にはあまり見られない、かなり独特な使い方です。

最近の流行は相模原事件の影響が大きい

私も「優生思想」を朝日と読売のデータベースで調べてみたが(聞蔵Ⅱビジュアル、ヨミダス歴史館、1985年以降)、優生思想という言葉はそもそもあまり使われていなかったようだ。

1996年の優生保護法の改正時に使われるが、このときは本来と同じ意味、つまり病気や障害にかかわる遺伝子を次世代に伝えにくくする、という意味で使われている。これ以降、優生思想という言葉はそれなりに使われるが、たいていは本来の意味で使われている。障害者排除のような意味で使われるときは、障害者団体の関係者がそう言っているのを紹介する記事だったりする。

そんなに時間をかけて調べた訳ではないが、障害者排除や弱者排除みたいな使い方が一般的という訳ではない。

これが変わったのが植松聖による相模原障害者殺害事件が起きたときで、朝日では障害者排除とか、人の価値の選別みたいな曖昧な使い方が増えていく(読売はそういう使い方は少数)。

レッテル貼りとしての使用

この件について調べたきっかけは、今から半年前の2020年7月に起きた3つの事件(れいわ新選組の大西つねきの炎上事件、RADWIMPS野田洋次郎の炎上事件、ALS患者嘱託殺人事件)で、優生思想という言葉が、「障害者や高齢者の排除・殺害」「能力による人の選別・排除」みたいな意味で使われていて違和感があったため*a

優生思想という言葉は、遺伝的な改善のことを指すのに、遺伝とは関係ないことにも適用して何を考えてるんだ?と思ったが、障害者団体ではこういう使い方をしているようだ*1。そして相模原事件以降のリベラル系のメディアでかなり使われている。

私としては優生思想という言葉を広い意味で使うのは良くないと思う。というのも広い意味での優生思想は明確な定義がなく、自身が反対する考えに悪のレッテルを貼るために使われているからだ。具体的には安楽死、障害者や高齢者の待遇変更(トリアージや予算配分の見直し)など、あるいはそれを主張する人に対して、悪のレッテルを貼ることに使われることが多い*2

ALS患者嘱託殺人事件のときも安楽死とナチス優生学の混同は酷かった。ナチスにおいてすら優生学と安楽死は異なる(よく知らない人は市野川氏の解説か、『優生学と人間社会』(講談社現代新書)を読んでほしい)。

雑誌・新聞記事はまだマシだが、ツイッターなどは酷いもので、優生思想という言葉はただの侮蔑語として使われている。

類似のレッテル貼り用語

こういうレッテル貼りに使われる定義のない言葉には、似たような例だと「ファシズム」や「新自由主義(ネオリベラリズム)」がある。

ジョージ・オーウェルは1944年に「"ファシズム" という語は、ほとんど全く意味が無い。ほとんどのイギリス人は "ファシスト" という語を "bully" (いじめっ子、ガキ大将)の同義語として受け入れている」と書いている*3。たいていの場合、ファシストという言葉を聞くのは、こういう侮蔑語としてだろう。

新自由主義(ネオリベラリズム)に関しては、哲学者のジョセフ・ヒースがいいことを書いている。
ずいぶん前から,批判的研究で「ネオリベラル」という言葉が最重要語として機能しているのは気づいていた.事情を知らない人に説明しよう.「ネオリベラリズム」の基本的な問題はこういうことだ.この言葉はでっちあげだ.フーコーによって人口に膾炙するようになった単語で,実はフーコー当人も理解してなかった経済的なあれこれの考えについて語るのに使われているにすぎない.じぶんから「はい自分がネオリベラルです」と称している人たちなんて,どこにもいない.そのため,それが指す事柄にはなんの制約もかかっていないし,「ネオリベラリズム」について主張される批判に応えるべき人間もいない.「ネオリベラル」を,他の「保守」「リバタリアン」といった言葉と比べてみるといい.「リバタリアン」を自称する人たちは実在するから,もしもリバタリアニズムを批判する文章を書けば,現実のリバタリアンが「おまえの言い分はおかしい」と言って反論を書いてよこすかもしれない.一方,「ネオリベラリズム」の場合には,なんでも好き放題に言える.なにを言っても,生身のネオリベラルが「お前の言い分はおかしい」と反論を書いてよこす心配はない――そんな人がどこにもいないからだ.その結果,著作でこの言葉を使う人たちはようするにこうあけすけに宣言しているにひとしくなっている.「私が意図している読者層は,同じ左派のエコーチャンバーですよ.」 エコーチャンバー外の人たちとやりとりしようとのぞんでいるなら,エコーチャンバー外にいる人たちがみずから自覚して実際に掲げているイデオロギーをとりあげないといけないだろう.(この点で,ネオリベラリズムを批判する人たちは大学業界の臆病ライオンだ.そんないわれはないと思うなら,実際の右派を見つけて議論してみてはいかが?)

ただ,ネオリベラルを自認する人がどこにもいないおかげで叶ってしまった望みが1つある.「ネオリベラル」という言葉を使うと,その文章を届ける相手がせばめられて,根っこの規範的な判断を共有している人たちに限定される.すると,この大学教員たちは「ネオリベラリズムはわるいもの」という信念にみんながすっかり賛同している気分になれる.

ネオリベラルを優生思想に置き換えれば、かなり当てはまるだろう。定義がないから好き勝手にレッテル貼りに使える便利な言葉である。

障害者団体のように社会運動として優生思想という言葉を使っている人はこれからも使い続けるだろうが、冷静な議論がしたいなら優生思想を広い意味で使うべきではない。遺伝的素質の改善」という本来の意味で使うべき。きちんと定義されている言葉にあやふやな意味を加えるとコミュニケーションが成り立たないし、そういう曖昧な言葉は自分の気に入らないものにつける「レッテル」として使われるのがオチだ。広い意味で使おうとするなら別の言葉を使った方がいい。例えば弱者排除、障害者差別、高齢者差別、能力主義、メリトクラシー、能力差別など…

参考サイト



*a:"優生"を本来の意味で用いると、たいていの場合、騒がれていることは優生思想とは関係ない。たとえば植松は異常な障害者排除主義であるが、優生思想により殺人を犯した訳ではない。なぜなら重度障害者はそもそも子供を作らず、それを排除しても次世代の遺伝的素質は向上しないから。また同じく高齢者の排除は、年齢主義とか高齢者差別と言えるかもしれないが、優生思想とは関係ない。RADWIMPS野田洋次郎の発言は、本来の意味での優生思想と言えるが、それを批判する人は優生思想という言葉を広い意味で使っていることが多い。

*1:日本だけの用法なので、英語のeugenicsとは全く別の意味。英語だとableism(健常者中心主義)に近い。


*2:出生前診断(とそれに伴う中絶)に対しても優生思想というレッテルが貼られるが、この場合は「不良な子孫の出生を防止する」という本来の意味なので、言葉の使い方としては問題ない。出生前診断の是非はまた別の話になるが。
(中絶は親の自発的な判断なので、遺伝子プールの改善を目的とする旧来の優生思想ではなく、個人の幸福追求としてのリベラル優生思想になる)


*3原文訳文。訳はwikipediaにあったのをそのまま持ってきた。